

震災を機に、まちでの活動をスタート。
海の漁師の仕事から、
今は,漁の網を使ってミサンガを作る
「浜のミサンガプロジェクト」のリーダーとして、
活動すると同時に東京で講演もなさっています。
メディアではわからない、
被災地で頑張る女性リーダーの声。
No.19
1000年先まで伝えたい!
[[船砥千幸さん]]

[[船砥千幸さん]]
Q. 「浜のミサンガプロジェクト」リーダーになったきっかけは何ですか
A. 「リーダーになってくれる人がいれば、仕事が始められます」という言葉
3月11日に震災が起きて、もともと漁師の仕事をしていましたが、
震災で出来なくなってしまったんです。
しばらくしてから仮設住宅に住むようになりました。
仮説に移るということは、「自立」するということ。
今までのように、避難所にいたころとは違い、配給される物資も限られ、
継続して住む期間も決まっている。
自分で仕事を見つけ、働く必要があったんです。
だから仕事をまず探し始めました。
何人も避難所で会った人に仕事はないか聞いて回りました。
偶々、地元の友達と話す機会があって、そこで、漁の網を使って、
ミサンガを作成する、浜のミサンガ「環」のことを知りました。
もとから他の支部が釜石などであったので、
そちらのリーダーとも何度も会って、話すようになりました。
「陸前高田支部をもし作るのであれば、
誰かリーダーになってくれる人が必要です」と言われたのです。
でも、その場で答えを出せませんでした。
今までリーダーとしての経験がなかったので、不安でした。
一晩リーダーになるかどうかを考えました。
結局、誰かがやらなければ仕事は始まらないのだからと、リーダーを引き受けることをしたんです。
Q.広田の女性を元気にしたい。そのために浜のミサンガ「環」という仕事を通して、事業所を女性の活気付けのための第一歩の場所にしたいとお聞きしました
A. 震災以降、外に出なくなってしまいがちな女性が集まるきっかけになれば良いなと思っています
もともと、浜のミサンガプロジェクト自体、
牡蠣の殻むきをしていたあるおばあちゃんを元気にするために始まった活動なんです。
震災でお仕事がなくなってしまったおばあちゃんが、
仕事をしなくなってから、元気がなくなってしまったんです。
震災以降、仕事がなくなってしまった人に対して、
このおばあちゃんの元気を取り戻せたように、
活気や元気を取り戻したいという想いから始まっています。
ミサンガを作ることは、実は自宅でも出来るんです。
でも、自宅にずっとこもってしまっては、外に出られなくなってしまうし、
それによって外とのコミュニティとの繋がりがなくなってしまう。
震災後、もともと外に仕事に出ていた女性も家に隠りがちになりました。
でも、それは、車がないと移動できない、
でもバスも電車もないという状況も確かに関係しています。
でもこの状態をどうにか少しでもいい状態にしたい。
もともと外に出ていたのだから、どうにかして外に出て、働く環境を作りたい。
少しでも外に出るきっかけになればと考え、
一週間のうち一度、事業所に集まって皆で作ることにしていまます。
またこの地域には、ボランティアの人も地方からくるので、そ
の人たちに向けて実演してもらうこともあります。
Q. いつも心にとめている想いはありますか
A. ミサンガはいつかは売れなくなってしまう商品。このあとのことも考えなければということです
浜のミサンガは、復興商品として、売れている現実がある。
ということは、いつかは売れなくなることもあるということだと思っています。
これは、この活動を始めるときから考えていたことです。
このような状況では、仕事がなくなってしまう。だから実演などをして、
漁師のお手伝いにボランティアに来た人向けに、実演をしています。
そのことで、買ってくださる方も多いです。
あとは、この仕事自体、女性が仕事を見つけるまでのきっかけにもなっているので、
現実は厳しいですが、早く仕事を見つけて、巣立って行ってほしいです。
Q. 浜のミサンガ「環」の仕事の他には継続するために何か考えていますか
A. ボランティア活動者の受け入れ、運営、物資受け入れ運営をこのまま続けていこうと思っています
とにかく、一度でもいいから現地にきて、自分の目で実際に見てほしい。
そうするために、一番親しみやすいのが、ボランティア活動として、
ここに来てもらうことだと思うんです。
ボランティアの内容としては、小学3年生の子どもでも、
十分手伝えるような簡単な漁師のお手伝い。
この夏休みは全国から学生が100人近くボランティアに来ていました。
最初は、長靴もはいたこともないような学生も、
一週間たって帰る頃にはいつでも漁師のお嫁さんになれるね、というくらいです!
みんな仲良くなって、また会いにくるね〜といって、帰って行きますよ。
Q.復興ボランティアに行くことを懸念しているひともいます。そのような現実をどう思いますか
A. 遠慮せず、どんどん来て、まずは自分の目で確かめてほしいです

やはり、メディアの力は大きく、福島だけの放送がメインになってきました。
そのせいか、もっと復興していると思ってきましたという、
ボランティアの人が多いですね。
実際は全然変わっていない部分もあり、一年前と比べ、
瓦礫が少し片付けられ、津波で流された平地に草が生えたくらいです。
だから、少しでも興味がある人は、
まずは、一度で良いから自分の目でみることで感じてほしいです。
Q.夢って何ですか?
A. 1000年先まで伝えたい、だからまずは10年、それが出来たらまた10年。
1000年に一度の津波といわれ、1000年先まで続けようと思いました。
でも、1000年も生き続けることはできないので、まずは10年。
10年伝え続けることができたら、また次の10年。
そうやって一歩ずつかなと思っています。
一人で、50人程の学生ボランティアを受け入れることは大変ですが、
やはり現地に来て感じたことを、とにかく何でも良いから感じたことを伝えてほしい。
自分の大切な人、家族、友達に伝えてほしい。
一人一人がそうすれば、その倍の人に伝わる。
そしてまたここに足を実際に運ぶ人が増える。
そういう風にして、絶えず、この地の現状を自分の目で見てくれるひとを増やしていきたいです。
今月末まででも500人くらいのボランティアが来ているんですよ。
これはとても嬉しいことで、ボランティアに来てくれることによって、
漁師も、頑張らなければと元気をもらうんですよね。
だからこれからもボランティアで訪れてくれる人を増やし続け、
1000年先まで伝えたいですね。
●読者の方にメッセージをお願いします。
[元気is HAPPY]
【インタビュー後記】
1000年先まで伝えたい。
そのために一歩一歩大切に、
でも先を見ながら着実に前に進まれている生き方がとても印象的でした。
とても人間らしくて、繊細な生き方。
読者のみさなんは、
この記事から何を感じ取っていただけたでしょうか。
この記事を読んで感じたことを、発信していってほしいと思います。
船砥さん、ありがとうございました!
インタビュアー:新井みなみ











