

イギリス一国分にあたるほど
植物の種類が豊富な東京の森「高尾山」。
水で溢れるこの山には、道路を通すための
トンネル工事が始まっています。
それを食い止めるために楽しく、共感を生むような活動を
展開するのが坂田さん率いる「虔十の会」。
明るくて自然体で、
こっちまで気分が晴れていくような笑顔の持ち主、
坂田さんの魅力に迫った今回のインタビュー☆
一人一人の持つ「なくなると寂しい特別な場所」を思い出し、
坂田さんの優しく温かい想いに、
胸がいっぱいになるのではないでしょうか?
それではインタビュースタートです!!
No.11
自然と共に生きる
[[坂田 昌子さん]]





NPO法人「虔十の会」理事
[[坂田 昌子さん]]
Q.虔十の会の前はどんなことをされていたのでしょうか?
A.朝鮮のことを学んでいる中で「環境問題」と出会いました。
実は、森さんと同じ明治大学なんですよ!笑
文学部史学科でした。
高校を出て、漠然としたものではなく、
何か“自分で作っている”という実感がほしかったんです。
工場で大量生産されたものではなく、手作りで取替えのないようなものを作りたいなと、
今思えばそういう思いがあったのかもしれないです。
だから鎌倉の和紙屋に勤めていたりもしました。
そんな中、当時の友達の中に、在日コリアンの友達が多かったんです。
当時は、差別がまだ身の回りで起きていて。
社会問題を意識していなくても、「そりゃないでしょ」と思うことが多くあった。
和紙屋さんで働きながらもっといろんなことを知りたいという欲望が出てきて。
大学に行ったのは23歳。もっとちゃんと勉強した方がいいと思って、
大学に行こうと決めました。当時私が興味を持ったのは、「差別」「人権」
東洋の研究がされていたが、朝鮮のことを学べる研究がほとんどなかった中、
在日コリアンの講師が明治大学史学科にいたんです。
世の中に在日コリアンの教授がない、そんな時代でした。
自分が住んでいる日本という環境がなぜこうなっているのかを知るためには、
アジアのことを学ぶとわかるのではと思い、朝鮮あたりのことを学んでいました。
そのようなことをやっているうちに、
世の中にある多くの問題に対して多くの人が取り組んでいて、
その根本に関わってくるのが「環境問題」なんだということを、
少しずつ自分の中で感じてきていました。
釣りが大好きだった私は、山や川がどんどん痛んでいくことを肌で感じていたし、
心が痛かった。伝統的な暮らしや文化的なコミュニティが壊されたり、貧困の問題も、
先住民の人権の問題も、環境問題が絡んでくる。
それに対して、正しいことを言ったりはしているんだけど、敵を見つけて、戦っていく、
ぶつかるという形で世の中に立ち向かっていくような動きが多かったように思います。
でも、それには限界を感じていました。
もっと環境のこと勉強したいと思っていたところ、
5,6人で環境について勉強をするサークルを始めました。
「環境問題とは」という形で勉強会は始まって、
世代関係なくどんどん人は集まってくるものの、
でもイマイチやっていてもピンと来なくて。
話しているうちに、「東京に住んでいる私達は“美しい自然”って体感したことないし、
本当に豊かな自然って知らないよね」って気づいたんです。
遊びも兼ねて、白神山地や屋久島などに行くようになりました。
言葉に変えた自然ではなく、絵葉書的な大自然ではなく、体感をしに。
やはり、圧倒的な自然は気持ちがいい。
守らなきゃいけないって、そのとき強く思うんです。
でも、アスファルトの町東京に帰ってくると、また我慢の日々があって
、守らなきゃという想いも薄まって。
“東京の自然”を考えないと、永久に自然のおいしいとこだけ見て、
自然って素晴らしいね、で終わってしまう。
自然に貢献することもできずに終わってしまう。
都市の自然を取り返していく時代なんだ、ってことに気付いたんです。
そんなところに、元々みんなが大好きだった東京にある「高尾山」が
トンネルが掘られてしまうということを知りました。
東京にはどんどん自然がなくなるけど、
自然は遠くに行って楽しむものみたいな生活を、認めちゃいけないんだなと。
ちょうど11年前。「高尾山を守ろう」ということで、「虔十の会」が生まれました。
組織にするつもりはなかったんです。好き放題にやっていたので。笑
でも、人と一緒に何かを作りながら、人に影響を受けたりすることで、
予想外のアイディアが出てきたり、
一人だと得ることができなかったものが手に入るなって思って。
「私」なんてあやふやで、人に影響を受けて、
常に自分って変容していると思うんです。
だから人に影響を受けることにためらいはなく、気づいたら組織として動いていました。
Q.高尾山を守るということを伝えていくために
必要なことは何でしょうか?
A.情報と情緒。両方揃って初めて人の心を動かす伝達になる。
昔から活動をしている住民の方と仲良くなったり、徐々に活動を広めていきました。
地元の方たちの反対運動が今までで約27年続いていて、
15年経ったところで私達が関わることになりました。
言っていることは正しいんです。でも、共感を得られないと受け取ってもらえない。
別の形で高尾山をアピールしていかないとどんどん住民の方が孤立し、
共感を得づらくなる。
15年も運動をしても、環境に詳しい人ですら
高尾山の反対運動のことを知らない状態でした。
なぜここまで広まっていかないのか、運動のやり方に問題があったからです。
“反対”ではなく、
「気持ちいいから守りたい。」「楽しいからここがなくなったら寂しい。」という想いを伝えないまま、「トンネル反対!」としていては伝わらない。
正しければ人は納得するわけではない。
正確に伝達するものは大きく2つあると思っていて、1つは「情報」。
もうひとつは「情緒」。この2つがそろったときに事が大きく動き出す。
正しく漏れのない情報を伝えることをしてきたのが今までの反対運動。
主張の正しさをさまざまな情報を通して言う。
でも、それだけだと人の気持ちは動かない。
納得はするけど、共感は得ることが難しい。
情緒の伝達が本当に欠けていました。
「トンネル反対!」ということだけを訴えていても、
一般の方とは温度差があってせいぜい高尾山が傷つくのは悲しいなぁで終わってしまう。
アートやスポーツ、音楽、女性的な感性が必要で、
私達団体としてはそれを意識してやってきました。
情報だけでも、情緒だけでもだめ。
人の心を動かす伝達をするためには、両方が必要不可欠。
正しいことを言えば、人の心が動くわけではないと思うんです。
Q.活動をする上で、大切にしていることは何でしょうか?
A.楽しむこと。否定せず、リスペクトすること。
何をしたら楽しいか、を考えました。
ツリーハウスを作ることになりました。
トンネルが…という話が楽しんでいる間に出なかったとしても、
そこが忘れられない場所になったり、大切な思い出ができる場所になったりする。
自分達自身が楽しむこと、参加してくださった方に情報と情緒が伝わること、
これを大切にしながら活動をしてきました。
あとは、地元でずっと何十年も反対運動を続けてきている方々の運動を否定せず、
リスペクトし、気持ちを汲むということを怠らないこと。
否定から入っていくというのは、環境問題にかかわらず、
コミュニケーションが作りにくい。いろんな人の力を借りるためには敵を作らず、
リスペクトするということが必要。
「楽しむことなんて高尾山の反対運動に何のメリットがあるのか?」と、
言ってくる人もいました。
でも、結局ツリーハウスにどんどん人が集まるようになり、
雑誌に載ったり取材を受けるようになり、
トンネルのことも認知されるようになっていきました。
結果が出ると理解してくれるし、最初から否定するとぶつかるだけで終わってしまう。
お互いの活動に参加しやすいように、関係を作っていくようにしています。
分裂したくないじゃないですか、同じ想いを持っているのに。
Q.具体的な活動内容は?
A.高尾山のトンネル工事を食い止めるために…
高尾山には、すでにトンネルの工事の手が入ってしまっていて、
それをなんとか止めなくてはなりません。
でも、工事が始まってからでは、止めることは本当に至難の業で。
スポーツやアートを通じて、高尾山のことを知って好きになってもらう活動を続けながら、メディアや政治家に訴えていかないといけないレベルになってきていて。
社会問題、政治問題となると、もうその段階で気が引けてしまうけど、
すでに、そこに訴えていかないと止めることはできない。葛藤がありました。
でも今は、公共事業の問題、政治的なものをいかに楽しくするかをいろいろと考えています。ロビイングといって、政治家の人に会いに行っています。
どうやったら国交省を動かせるか、話し合ったりしています。
政治って遠いところにあるように思えて、実はご近所にあるって感じます。
国会議員は、国民によって選ばれたから、
国民に会いたい、話したいと言われたら、会わなくてはいけないんですよ。
だからアポ取ったら会いに行けたりするし、
私自身も環境大臣、環境副大臣と話したりもしました。
環境に対する意識は高くなっているのに、明らかに山や川が壊されていく。
そういうときにどうしたらいいか?
myはし、myバッグのように、自分達の想いを実現していく
my議員を作っていくといいと思います。
「エコ議員通信簿」 というのを選挙のときに作っています。
25個の法案を作って、去年の選挙のときに議員さんに送りました。
25個の法案を議員となったときに実現できるかを
1つ4点で100点満点でコメント付で頂いたものをWeb上でアップし、公開しています。
初めて行ったときは、1500人の候補者のうち500名の回答を得られました。
実はこうゆう活動を通じて、仲良しの議員さんがたくさんできました。
Q.なぜ新しいことを始めていくことができるんですか?
A.失敗したっていいじゃん!ってゆう妙な軽さがあるから。
失敗したっていいじゃんってゆう、妙な軽さが必要だと思うんです。
大概のことは失敗したからって、誰がどう影響を受けるわけでもなく、
世の中ひっくり返るわけでもない。
失敗を恐れていたら、何も進まないんだもんね。
それに、失敗したときのことの方が人間ってよく覚えていて。
それだけ人が失敗から学んでいるということ。
Q.坂田さんにとっての高尾山の魅力って何でしょうか?
A.四季を感じさせてくれる隣の庭のような存在。
普通に東京に暮らしていると、例えば仕事をしていて、
休日は昼まで寝て起きて、あ~1日無駄しちゃったなって気分になるけど、
でも高尾山の近くに住んでいると、昼まで寝ていても、
ふらっと森に行って、湧水があって。
そんな場所ってなかなかないと思うんです。
心をリセットできる優しい場所。
こういう場所、昔はもっとあったのかもしれないよね。
仕事が終わった帰り道に夜桜が咲いていて、気持ちがちょっと晴れたとか、
元々は自然ってすごく身近な存在だと思うんですよね。
高尾山は私にとっては、昔よく遊んでいた大きな木みたいな存在。
すごく意識しているわけではないけど、どこか安心できて、優しい気持ちになれるような。何気なくそこにいてくれるそんな優しい場所。
それが高尾山の一番好きな所で魅力。
四季を感じさせてくれる隣の庭のような存在。
この感覚になれる森って、本当にすごいと思うんです。
Q.高尾山を守る活動を通して、何を伝えたいですか?
A.「気持ちいい」と感じる優しい場所をそれぞれが持ってほしい。
高尾山は私にとって特別な場所だけど、その中でも特別好きな湧水の場所、花、木など、ひとつずつのお気に入りだってあったりします。
その木が切られてしまっても、世の中には、何の問題も何の影響もないかもしれない。
だけど、なくなってしまったら本当にさびしい。
この気持ちを忘れてしまったらこわいなって思うんです。
高尾山の活動をきっかけに、自分の家のすぐ近くの「気持ちいい」って感じる身近な場所を
みんなにも持ってほしいなって思います。
行くだけで、見るだけで、ほっとするような、優しい気持ちになれるような、
そんな場所があるかないか、自分は持っているかなって思い出してもらいたい。
そういう場所って、単なる風景ではなく、人の営みの中で生まれた風土。
その人の思い出と記憶と共に、その場所があり続けているんです。
そんな場所が全世界の人にあって、それがなくなることで、
寂しかったり悲しくなったりする人がいるという事実を考えてほしいなって思います。
風土を守るということは、人の思い出や優しい場所を守るということ。
東京は失い続けてきたんじゃないかな。そういう優しい場所を。
●ボードに何でもいいので書いてください。
【関連サイト】
虔十の会HP:http://www3.to/kenju
エコ議員つうしんぼ:http://www.giintsushinbo.com/
【インタビュー後記】
坂田さんの笑顔は高尾山の優しさをまるで映し出しているかのように、
私の心を安心で満たしてくれます。
ぶつかり合うデモではなくお互いの想いを尊重し合うこと。
これは、人と人との関係にも言えると思うんです。
相手の意見を遮ったり、正しい事実ばかりを乱立したって、
人の心は動かないし、心で繋がる関係になることはできない。
相手を尊重すること。相手にも同じ存在や場所があるということ。
同じ東京にある高尾山という存在が教えてくれたような気がします。
坂田さん、本当にありがとうございました。
インタビュアー:森裕美
